韓国語を学びながら、日本の面白さも再認識する
안녕하세요?
oulmoon입니다.
私のもっていたEBSラジオの「楽しい日本語」のテキストが修了し、今は先生から送ってもらったデータをもとに似たような内容をテキストに使っています。
これまでの同様、日本語を勉強している韓国人のために作られたテキストなので、今更な内容だったり、ニュアンスが違うこともあるかもしれませんが…
新しい発見もあると思うので、楽しみながら進めていきます。
ちなみに、ちょっと見にくい部分もあると思いますがお許しくださいませ!
それでは本題です。
今回は、幸せをテーマにした内容です。
メインテーマ「文化を覗く!―幸せに関する名言 행복에 관한 명언―」
チェックした単語あれこれ
・명언 名言
似た言葉では격언(格言)などがあります
・생애로 生涯で
・최상 最上
日本語では「無上」となっています
・무료 退屈、つれづれ
これは、単なる「退屈」より重いニュアンスがあります。
「つまらない」+「退屈」+「懐疑的」みたいな感じだそう。
一般的な「退屈だ」を表すなら
심심하다、한가하다などを使います。
その瞬間的に「退屈だ」と感じているときなどですね。
今回出てきた名言は、個人個人によって共感できたりそうでないものもあると思います。
私は太宰治さんや萩原朔太郎さん、ショーペンハウエルさんなどの言葉には共感できるかな?
先生にそう話すと、「宮沢賢治とかアルブーゾーなんかの言葉は、まさに社会主義的な言葉ですからね」って言われてました。
確かに、「皆が平等に」的な考えが強いと、よりこういう意見に共感するかもしれませんね。
先生が「『名言』って、もっと世界的に有名な誰でも知ってる人が使う言葉のことを言うと思ったんだけど…」と言われて、確かになぁと思いました。
宮沢賢治さんとか、日本では超有名ですけどね。
他の国の人が名前を見たときに、パッとは分からないかもですね。
他の外国のかたも、個人的には殆どしらなかったし…。
私が無知なだけかもだけど…(笑)
どんな意味?「행복하다고 생각할 때」
テキストの中に、「いちごちゃん」という幼い女の子の日記が出てきます。
元々は日本語で書かれた日記を韓国語に訳してあるのですが、使われている文字はかわいいし(読みにくいけど)、内容も簡潔で分かりやすいものでした。
でも単語などチェックが必要なものもあるし、日本語特有の表現を韓国語にしたりしているので、こちらも楽しみながら読んでみてくださいませ
チェックした単語あれこれ
・저지르다 (罪、過ちなどを)犯す、(過ちなどを)しでかす、(良くないことを)引き起こす
悪いことにのみ使う単語です
つまり、姉妹で悪いことをやったのに、お母さんがお姉さんだけ叱ったときに幸せを感じると…イチゴちゃんってば…(笑)
・낙엽 落ち葉
・쑥스럽다 照れくさい、決まり悪い、気恥ずかしい
・스쳐 지나칠 때 すれ違う時
ここの一句は「2人、照れくさそうにすれ違う時」です。
なんとなく意識している人と、思いがけない場所で出会った時とか、照れくさいような嬉しいような気持ちになりますよね。
・연금 年金
ここの一文は笑いました。
かっこで(年金から)って…。
関係ないけど、ネットで「物忘れがひどくなったおばあさんからしょっちゅうお小遣いを貰っている孫に「何にそのお金を使うの?」と聞いたら「これは使わないよ。またお祖母ちゃんのお財布にこっそり返しておくの。お祖母ちゃん、私にお小遣いあげるの嬉しいみたいだから」と答えたお孫さんの話」が出ていて、感動しました。
人から与えていただくことも幸せだけど、そういうことで相手を幸せにできるのは、もっと幸せな気持ちになります。
・잘난 체 하듯 偉そうに
ここの一文も笑いました。
押さない頃って、小指をたてて飲み物を飲むと「私ってかっこいい」とか「大人だ」みたいな気持ちになるのかな?
イチゴちゃんだけ?
どちらにしても微笑ましかったです。
今回もほのぼのしたお話が多かったですね。
幼い頃だからこそ、そう感じるのかもしれませんが。
大人になってから感じる幸せって、形が変わってくるかもしれないけど…
細やかなことにも大きなことにも、幸せを感じられること自体が、すごく幸せなことなんじゃないかと思います。
本人次第で、いくらでも幸せに満ちた世界に変わっていくような気がしました。
おまけ!「不幸だと思うとき 불행하다고 생각할 때」
・채이다 ふられる
・벅차다 手に余る、きつい
ここの韓国語の訳は、日本語の持つニュアンスによってはあまり合っていないそうです。
학교가 벅찰 때とは「学校に行くのがきついとかんじるとき」。
その「きつい」とは、「行くのがめんどくさい」という意味もあるし、「授業についていけなくてつらい」とか「校則が厳しくて」など、色々な場面が含まれます。
日本語の「学校がきびしいとき」だけだと意味が異なってくる可能性があります。
このアンケート自体がかなり古いので、今の価値観とは違うかもしれませんが…
ある一部の人たちの価値観として見ると、はっきりしていて考えさせられました。
この時こんな風に答えていた彼女たちは、今はどんな答えを出すんだろう?
日本語特有の表現あれこれ
上のいちごちゃんの文章で出てきた日本語の中で、日本語特有なものをピックアップしているコーナーです。
テキスト画像をそのまま載せようかと思いましたが、見にくかったので改めてまとめました。
母が「お茶しよう」って誘ってくれるとき
「차를 타다」라는 말은 「お茶をいれる」라고 한다.「お母さんがお茶を入れてくれた」는 엄마가 나를 위해서 차를 준비해 준 것을 강조하는 느낌이 든다. 여기서 「~してくれる」는 자신은 그렇게 생각하지 않았는데 다른 사람이 자신을 위해서 해준 행돈이 자신에게 행복을 줄 때 쓰는 표현이다. 예를 들어 친구한테 전화가 왔는데 자기가 전화를 받지 못했을 경우 그 친구에게 전화를 걸어서 「電話してくれた?(전화 걸었었어?)」라고 말할 수 있다. 「나한테 전화 걸어줘서 고마와!」라는 의미를 담고 있는 것이다.
・차를 타다 お茶を入れる
ここの타다は「溶かす」という意味からきています。
コーヒーなどを入れる時もこれを使いますね。
・강조하다 強調する
ここの「電話」の部分は、先生も日本に来て強く感じたことだそうです。
韓国では「나한테 전화 한거야?(私に電話した?)」と聞くところを、「나한테 전화 해준거야?(私に電話してくれた?)」と日本人は言うので、相手に対する思いやりと言うか、丁寧さを感じたと言われていました。
私は普通に使っていたので、このテキストを読んだり、先生に言われて初めて発見気付きました。
面白いなと思うと同時に、日本語が愛おしくもなりました。
「ケンタくんと偶然会って、2人照れくさそうにすれちがう時とき」
「照れくさそうにすれちがう」는 서로 부끄러워서 얼굴도 보지 않고 다른 방향을 보면서 지나가는 장면이다.
韓国の幸せ指数あれこれ
こここらはテキストから離れますが…
せっかくなので韓国の「幸せ」についてもちょっと調べてみました。
ネットでいくつか検索すると、昨年の11月にこんな記事が上がっていました。
あくまでデータであって、私たち個人個人が毎日に幸せを感じていればいいとは思いますが…。
世間の多くの人は、他人と比較しがちだし、「一般的」とか「平均」とか「普通」を気にしますからね。
それと関係するかは微妙ですが、何年も前から私もブログで韓国の「N포세대」について書いてきました。
N포세대
N포세대とは「人生を諦めた世代」のこと。
「N포=諦め指数」
就職難などに苦しむ20~30歳を指して使われる新造語で포기(諦め)の「포」に「N」をつけ、諦めの指数を表しています。恋愛、結婚、出産、夢、希望など多くの人生価値を諦めた세대(世代)という意味。
時代によっても「N」に入る数字は変わってきていますが、どんどん数字が増えていますよね。
最初に言われたのは「3포세데」でしたが、今は7ともそれ以上とも言われています。
▼こちらも参考に
3포세데(Kぺディア) → ★
3포세데(Wikipedia) → ★
幸せの形って個人それぞれだと思うので、「一般的に言われている幸せ」の枠組みを自分らしく変えてしまえば「諦め」なんて言葉にならない気もするのですが…。
客観的に目の前の現実をありのまま受け止めた上で、自分にとっての幸せとは何か考え直していくと、行動も考え方も変わってくるので少しは楽になるので。
でもここでは、そういう考えとは別に、「そうしたいのにそうできないから」という現実のことも含まれているので、どうしても「諦め」となるんでしょうね
さてさて、テキスト自体の内容は短めですが、
今回はここまで!
今日も見てくださってありがとうございます!
また、次回の更新でお会いしましょう